痛み、これを嬉しいと感じる人はいないでしょう。
痛み、できれば感じることなく過ごしたいと皆が考えています。
痛み、苦しみの象徴とされるほどの嫌われ者ですよね。
痛み、憎んでも怒っても抑えても消えないのはなぜでしょう。
痛みさえなければ、そう感じている方に届いて欲しい知恵袋です。
痛みの役割を知ってますか?
痛みというのは体からのエラーサインなのですが、それは苦痛を伴い通常の生活や行動をすることを妨げます。
だから、そんなのなければいいのに!って思う気持ちもわかるのですが、痛みは無意味に意地悪をするために生じているわけじゃないのです。
痛みの役割として
- 傷害から身体を保護するために動きを抑える
- 怪我の部位から体を離れるように促す
- 怪我の部位を処置したり保護したりする行動を取らせる
- 怪我や疾患を診断するために医師に報告する
- 同じような傷害を避ける習性を身につけさせる
というものがあります。
人生で痛みがなかったら、きっと今のあなたの年齢まで生きてこれなかったかもしれない。生きるために痛みが必要なのであれば、できるだけ仲良く付き合う方がいいのです。
痛みが敵だと思っている限り、痛みと仲良くはなれないのは当然です。そうではなく、痛みが自分を守ってくれている、そういう捉え方ができるようにならないと痛みと仲良くなれません。
「この痛みがなかったらもっとバリバリ頑張れるのに」
そうやってご自身の膝をバシバシ叩くおじさんと交流会で会いました。
私がボディーセラピストとして痛みやしんどさの解放や軽減のサポートをしていることをお伝えしたときに、こうおっしゃったのです。
その時私は思わず眉間に皺を寄せ、身を後ろに下げていました。叩かれている痛々しい体を見ていられなかったのです。
おじさんの気持ちもわかるのです、頑張りたい自分の思いを邪魔する厄介なやつだと痛みによるしんどさや我慢・ストレスがたくさんあったのでしょう。
でも、考えて欲しいんです。
勝手におじさんの膝は痛くなったのでしょうか?
何もないのに膝は痛みを発しているのでしょうか?
おじさんの人生を邪魔するために痛くなっているのでしょうか?
これら全てNOですよね。勝手に痛くなるなんてことはありません。何もないのに痛くなることもありません。痛くなるような背景や過程があったからこそ、おじさんの膝は痛みを発しているんです。
もし仮に、おじさんの膝の痛みが消えたとして、それで全ておじさんの問題は解決するのでしょうか?おじさんはやりたいことを好きなだけ頑張れ、自由に人生を謳歌できるのでしょうか?
痛みによるストレスがなくなり、行動が広がりストレスは減るでしょう。でも、おじさんの膝はきっとまた痛くなります。それはおじさんの痛くなる背景・過程・環境は何一つ変えていないのですから。
痛みはぶり返すのではありません、痛みを生み出すプロセスを経てまた生まれてくるのです。痛みだけがなくなっても、人生の問題は解決しないのです。
痛みより大切なこと
おじさんの話を例に出しましたが、そこが痛くなったのはたまたまそうなるプロセスがあり、膝に弱さがあったから体の中をめぐる痛みの信号がそこを出口にしただけです。同じ環境で過ごしていても、同じような背景があったとしても、その人の体の状態によって痛みが出る場所は変わります。
歳を重ねて膝や腰に負担が出やすいのは、何十年と生きている中で、膝や腰を多用してきたからにすぎません。細胞は生まれ変わっていますが、疲れやダメージは回復しますが、あなたという入れ物である体は入れ替わることなく何十年も使用されます。
家電も5年使えば故障し始めるのに、体は60年も70年も動き続けるのです。何かがあって当然という状態で生きているということを、現代人は見落としています。
老いという言葉を嫌い、老化現象に抗う傾向がありますが、ピークを過ぎた肉体は下降曲線を辿ることしかできません。その曲線を否定してもスルーしても、あの頃に戻ることなどできないのです。
日常生活さえできず、健康的な心を保てないような痛みは早急に抑え込む必要がありますが、日常的な痛みやしんどさについてはある程度引き受けていくということが歳を重ねる、大人になる、終わりに向かっていく動物としての責任です。
体はいつまでも勝手に動くロボットじゃありません、何もせずに当たり前の日常が過ごせるなんていう勘違いを捨てない限り、あなたは痛みによるしんどさから解放されることはないでしょう。
痛みと仲良くなる方法
痛みを憎めば不幸になる
痛みはあなたを守るため、生きるために出されたイエローカードです。
あなたを生かしている体からのメッセージというのは、審判からの声に近い崇高さがあります。
そのメッセージ(体からの声)を無視する、憎むということは、自分の存在に対して喧嘩を売るのと同じ。内部紛争です、エライコッチャです。
「ほぉ、この痛み程度じゃお前はわからんというのだな!?」と体はもっと強い痛みを生じます。決して意地悪をしたいわけじゃなく、生きるためというところにフォーカスして欲しいので気づいてもらうため、考え直してもらうためにガンガン痛みレベルを上げます。
薬で抑え込んで退治したと思っても、「そんなものは効かぬわっ!」とまた痛みゲージを上げてきますよね。体は必死なんです、あなたを生かすために、生きてもらうために。
痛みを生み出す生活・行動・決断をしているのはあなたなのに、痛みを憎む・恨むなんて、八つ当たりもいいところです。痛みさえなかったらと痛みの責任にしようとすればするほど、見るべきことから目を逸らし、正しい判断ができず、タイミングもずれ、状況は悪くなります。
そして無茶をしているあなたをどんどん体にブレーキをかけてくるので、あれもこれもうまくいかなくなり、何のために頑張るのかがわからなくなるのです。
痛みと戦うためなのか、これからの人生のためなのか、今の仕事のためなのか、自分らしい世界を作るためなのか。
痛みを恨むということは、自分自身の今からぶれるので幸せな未来はやってこないのです。
痛みは友達ではなく戦友
痛いもんは痛いです、痛いでいいんです。痛くないと思え、気持ちの持ちようだ、歯を食いしばれ!なんて言いません。
痛みを感じたということは、何か顧みなきゃいけないことがあるということです。
変えなきゃいけないことがあるということです。
辞めなきゃいけないことがあるということです。
痛みは過剰を示します、痛みは暴走状態です、勢いをセーブし、止まらねばならないのです。
あとちょっと頑張りたいな、今日一々だけでも、今週どうにかなれば!という思いは出て当然ですが、痛みがあるのに無理をするということは未来の健康を確実に削ぎ落としているということは覚えておいてください。
どうしても止まれない、動くしかないんだ、そういう責任のある方をたくさん知っています。が
痛みを無視していいことなんて一つもありません。
痛みとともにどうしていけば今を乗り越えていけるかという共存・共生という捉え方をすることで未来の健康を切り崩さずに頑張れます。
40代以降の大人が目指すのは、痛みの出ない体ではなく、痛みがあってもどうにか生きていけるだけの体に整えておくことです。
そうなってからじゃないと考えられない、痛くなったらどうにかすればいい、そう思う流れは昭和の頭で体を見ているからです。
令和の大人は何かがあってからじゃ遅いから、日頃からベースアップをしておこうです。
昭和の頃はそうでした、その頃を育った我々はそうとしか考えられないのも仕方ありませんが、仕方ないでは済まないんです、あなたの健康ですから。
情報は増えました、手段も増えました、なのに知らないというのは時代錯誤。今の大人の生き方を現代の子供達に見せてやってください、若者に示してください。それも大人の仕事だと私は思います。
現役ボディーセラピストのかおるーんです
誰がどうが伝えるかが大事なので私についてお伝えさせてください。
生まれつき見えないものがわかる個性を保持
占い師・カウンセラー・ヒーラー歴 2年
ボディーセラピスト歴 7年
体と心のサポート人数 のべ3500人以上
体からのメッセージを見える部分と見えない部分のどちらもがわかるアンテナを使って受け取り、最も速やかに変化できる距離感と段取りと方向性の道筋をつけ、対面・遠隔での施術を行なっているボディーセラピストです。
一般的に言われてることに含め、45歳以上の体を多くサポートしているボディーセラピストとしてのアドバイスを加えてまとめています。日々に取り入れやすいことを選んでいますのでぜひ参考になさってください。
最近、気になっていることはありませんか?
こんなこときいてもいいのかな、と思うようなことでもご質問を歓迎します。