自分の衰えや、若い頃の自分と比べてできないことが増えたことに気づいた時「歳なんてとりたくないな」とおもったことはありませんか?

鏡を見て、たるんだ皮膚や、ハリのない体からめをそらしたくなったことはありませんか?

渡された資料の文字がうまく読めず、眉間に皺を寄せて距離を取ったり、スピーディーな現代流行曲の歌詞が理解できずに「若いっていいな」と思ったことはないですか?

若い子達を見て、自分にもあんな頃があったのにと肩を落としてしまっていませんか?

歳をとるということを受け止められない気持ちは皆存在します。

でも歳を取らずにいることも不可能である現実がありますから、歳を取りたくないと感じるストレスを軽減するために知ってほしいことがあるんです。

これからの人生においても、それはとても大切な概念ですので是非最後までお目通しください。

歳を取りたくないと感じる理由

歳なんて誰もとりたくないだろう
そりゃ嫌に決まってるじゃないかと思われているかもしれませんが、ちゃんと理由があるのです。

人は欠乏を嫌うから

歳を取りたくないと表現されますが、本当は違うんです。
歳をとることによってできなくなることが増えていく現実が嫌だということなんです。

人は増えることより減ることを嫌います。
人はメリットよりもデメリットを気にします。
人は得をすることよりも損をしたくないとかんじます。

人の性質として、失うことに対して抵抗があるのは仕方ありません。

手に入れたもの、できていることを手放すことは辛いのです。

時間をかけて集めた宝物は、周りになんと言われようと手元に置いていたいのと同じ。

今できていることはこれからもずっとできるし、できていてほしいし、できなくなるなんて考えたくないという思いが「歳はとりたくない」という表現になるのです。

人は過去から今を比較するから

人は周りと自分も比べますが、自分自身の過去と今を最も比較します。

過去からの変化によって今を確認するという現在地チェックを行うことで、立ち位置を安定させ、周りと関わるための準備を行うからです。

過去の自分というのは、できていた自分も含まれます、頑張れていたあの頃も、無敵だったあの時代も、寝なくても動けた若き日々も含まれます。

あの人だからできたんだと自分自身に言い訳できない、逃れられない事実と比較するということは逃げ出したくなるほど残酷な修行でもあります。

誰のせいにもできないからこそ、そこに向き合いたくない、受け止めたくない、と否定してしまう感情が大きく動くので歳をとることに対して抵抗するのです。

内面で起きている衝突なので誰と比較することもできず、どれが正解かもわからないからこそ「歳のせい」にしてしまいたいとなるのです。

人は終わりを受け止められないから

どこかではわかっていても、人は終わりを受け止められません。
死ぬことなんて怖くないと言葉にしている人も、生きていると違う道の世界に恐怖や不安はかならずあります。

歳をとるということは、最後が迫ってきていることでもありますから、いつくるかわからない、どうなるかわからない未来に対して抵抗するために、歳を取りたくないと表現してしまうのです。

歳をとるということはいろんな不安や思いをまとめて表現されているということになります。

私たちが本当に怖いと感じているのは歳ではなく、人として避けることができない本質に抗えない現状です。

人は変化に弱いのです、失うことにも弱いのです、知らないことにも弱いです。
歳をとるということはとてもハードな現実のように思えますが、歳をとることを受け止めることは生きるヒントも隠れているということを次にまとめます。


失いたくない機能に自分の本質が隠れている

歳をとることでいろんなものが失われます。
視力、焦点、聴力、感覚、反応、思考スピード、表現力、たくさんある中で、あなたは何が失われることに最も抵抗してしまいますか?

それがあるということはとてもいいことなんです。それがまだなくても、これから来るその時の心の準備ができるので是非イメージしながら読んでくださいね。

あなたは何が最後に残ってほしいですか?

より伝わりやすいように、私という表現で私自身の思いも含めて書き進めます。

私は視力がなくなることが最も辛いです。
私自身、美しくないものを見ることに抵抗が強く、弱視レベルの視力に落ちました。
現実が辛すぎて素直に受け止めることができなかったので、とても強い乱視もありました。

ですが31歳の時にレーシックという手術で視力を回復させ、今は視力は保っていますが老眼症状が出てきています。

私は美しいもの、素敵なもの、かっこいいものを見ることが幸せに感じます。
大好きな人、大好きなものを見ることが喜びです。

たとえ声で伝えられなくても、体が動かなくなっても、最後まで視力は残ってほしいと思っています。

わたしにとって見ることは、わたしをわたしらしく保つための機能だと知っているからです。

あなたにとって、最後に何が残っていてほしいですか?

年齢変化による気づきは自分自身を確認する作業

若い頃はそんなこと考えたことありませんでした。40代に入った頃でも全く考えていませんでした。

45歳を超え老眼が出始め、眠りや体の年齢変化が大きくなってもまだ、最後のことは考えることができませんでした。

でも、最近になってやっとそこに意識を向けられるようになりました。
それは両親の老いを受け止めることができるようになって、やっとという感じです。

わたしの中にはずっと元気で笑って仕事をしている父の姿がありますが、現実の父の姿は何度もガンが見つかりこれを書いている数時間前に手術がおわったところです。

わたしの中には悩みながらも動き回っている母の姿があります、反抗しまくってぶつかり続けた母が存在しています。でも今の母は、いつまでもわたしを支えてくれる偉大なハートがありますが、押すと折れて消えてしまうんじゃないかというほど弱った体です。

年齢を重ねて、体力が落ち、機能が落ち、それでも頑張って生きている両親をやっと受け止めるようになったのは、自分自身に弱さが出てきたからだと思います。

できている時って、わかんないんですよね。失っていない時って、失っているものの気持ちって理解できないんですよね。同じ場所に立って初めてわかること、その中の一つが老いだと実感しています。

失ってわかること、そこに立って気づくこと、それらは今までのわたしの人生を振り返るタイミングでした。
なんで反抗してたのか、何に怒ってたのか、何を伝えたかったのか、何をわかって欲しかったのか、何を信じたかったのか。

老いは喜ばしいことではないかもしれませんが、人生の半分を歩んできた人間にとっては大切な始まりではないかと思いうのです。

どう終わっていくのか、そのために何をしておくのか、何を守っていくのか、何を手放すのかという作業は人に言われてできることではありません。体が変わって初めて手をつけていけるのではないでしょうか。

老化は自分をシンプル化にさせるタイミング

人はピークまで開き切ったあと、徐々に下り坂を辿っていきます。
生まれてから成長し、山を越えるとだんだんちいさくなっていきます。

人の体は徐々に閉じていき、だんだん死んでいく、終わりに向かって準備をしていくと、わたしは体を捉えています。

老化をきっかけに終わりに向けてシンプルであることの重要性と意味をまとめます。

大切なものはたくさん大切にできない

だんだん閉じていく、というのはだんだん機能が落ちていくということも含んでいますが、体力気力が落ちていくということも含みます。

タフさが失われていく中、大きな荷物もたくさんのものも維持させるということはとても大変なのです。

体の維持、生命の維持、時の流れに沿うだけでも必死になっていく中で、維持という力を使うことは未来の自分からあれこれ前借りしてることになり、終わりを早める行為につながっていきます。

なので整理をし、減らすことで維持にかかる自分のコストを下げることが必要なのです。

どれだけ筋トレをしても、生きるための力、命のパワーをチャージすることはできません。
筋トレによって変えられるのは命をまっとうするためのパワーであって、健康リスクを下げてはくれても命を延ばす行為ではないからです。

すでに失うものが体に出ているからこそ、他に執着してしまうということもありますが、そこを冷静に乗り越えた先にシンプルかという段階に進んでいくとわたしは感じています。

シンプルであることが豊かさを体感させてくれる

シンプルである、コストが下がるということは、ゆとりを産むことに直結しますから喜び・豊かさを受領するキャパが増えます。

本来であれば、人が閉じていく作業の中で受け取れるボリュームも減るのですが、ゆとりという受け皿が広がっているおかげで、何かと感謝できたり、小さなことで満足できたり、お陰様と生きるあり方につながっていきます。

シンプルであるということは感性が豊かですし、微細なものも受け取れる余力がありますから、たくさんの物事人にコストを割いている人よりも心が豊潤です。

お金や名声、人や環境が恵まれていて、なお豊かな人は存在します。そのかたたちは、その物質量よりももっともっとゆとりのあるあり方、考え方、キャパシティがあるということです。

一般的にはシンプルであることが、良かったと思えることが多く、ありがたいと感情を乱すことも少なく生きていけるので、イライラして不満を言い続ける日々が続くよりも、わたしは健康的だと受け止めています。

体がシンプルになろうとしているときに在り方や思考もシンプルにするということはバランスがとられるので、いきやすさも上がります。

常にそのときその瞬間の自分自身の体を受け止めていく、その体が生きやすいように工夫していくことがいい人生にとって必要で、様々な情報に塗れた現代人にとって、老化というのは今後より重要な意味を持つのではないかと捉えています。

今の体を受け止めるゆとりを作っておくための思考のバージョンアップが必要です

昭和生まれの私たちに必要なのは
我慢・気合い・根性で乗り越えることではなく、上手に体と付き合う方法を知ることです。

何十年も動いてきた体が当たり前に動かなくなることを受け止めながら、これからどうありたいか、何をしていきたいのかを確認する時間を取ることです。

今では当たり前になっている体ケアや心のメンテナンスを知らずに育ってきてしまったからこそ、今の体について賢くなって、上手に長く頑張れる、心地良く生きていくための情報を上手に手に入れてください。

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かおるーん

責めても悔やんでも、今の体は変わりません。今の体に向き合うことで、これからを変えていけますよ。

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